home/diary/album/hobby/profile

2002年12月

12月28日(土)

今日で御用納め。  事務所も今日から4日までお休みに。  よく働いてくれた秘書たちに感謝。  まだまだ行き届かず、「お宅の秘書はなってない」 と、私たちの代わりに、お叱りを受けることが多くて、私たちともども、しっかりして行かないと いけないと思っている。  来年は忙しくなりそうだし、私も、ふくろ作りにうつつを抜かしてはいられない。  今年一年は色々な事があり、とても早かった。  そして沢山の方たちに出会え、お世話になった。  感謝せずにはおられない。  皆様有難うございました。  お体にお気を付けて、どうぞ良いお年をお迎えください。

12月27日(金)

元旦に宮中に着ていく増原のモーニングと私の洋服を宅急便で東京に送る。  宅急便は間違いがないので本当に便利。   「キモノでいくのでしょう?」  とよく聞かれるが、元旦の朝に東京でキモノの着付けをしてもらうのは困難。  どのホテルの着付けもお休みだからだ。  初めてのときはキモノ、と思い込んで やっと探し当てて、キモノで行ったが、案外 洋服の人が多かったので、それ以後は 洋服を着て行ってる。  宅急便のダンボールに まだ隙間があるので、あれこれ詰める。  娘からリクエストがあった、私が作ったお味噌も入れたかったが、万が一漏れたら大変、と次にする。 

12月26日(木)

時間があると、作っていた、私の癒しのためのふくろ作りを今年はもう終わりと、道具を収めた。  やらなければならないことが山ほどあるのに、ついつい好きだから、ついつい落ち着くからと手仕事をしてしまうので、よけい忙しくなる。  年末に焦らないために、振り切って 「収めた」。  ちょっと寂しい。

12月24日(火)

昨日の休日、久し振りに増原がお昼間 時間が有ったのと あんまりお天気が良いので、古川沿いを太田川まで散歩した。  河川敷は枯草が刈り取られていて、歩きやすく、亀や白鷺、水鳥が沢山いた。  夏に散歩していたときよりは ずーっと多い。   目の良い増原がかわせみを見つける。  あんなにきれいな色をした鳥を見たのは初めてだ。 感激! しばらくして向こう岸にテン(?)がいるのを発見。  ベージュ色のりすのような動物が餌を探しているのか、水際をあっちこっち歩いている。  夏に散歩していた時には考えられない程 自然があるのを実感。   古川は 交通が激しい国道沿いに流れているのに、一歩入ると、いろいろな動物がいて驚きだ。 

12月23日(月)

去年の天皇誕生日は宮中に伺ってお祝いをしたのに、今年はくじに外れてしまって、伺えず残念。  年に何回か、皆様の代表として、宮中や園遊会に行く機会があるが、それぞれ抽選があって、なかなか行く機会に恵まれない。  国会議員になって、唯一の晴れやかな場所だ。  去年の天皇誕生日は年の順に並び、真中より後ろだったので、政界の中では若手に入るのだろう。  私のお隣は民主党の海江田万里さんで、背が高く、ステキな方だったので、ウキウキ。  増原が 「楽しそうだね」 とささやいたぐらい楽しくお話した。  周りの方たちも楽しく、和気藹々。  駄洒落や冗談の往行で国会議員ってこんなに楽しい人たちなの?と思うぐらいだった。  会が終わる寸前に誰かが 「天皇陛下万歳!」 と叫ぶ。  そのタイミングが絶妙だった。  長年来てる人に聞くと、誰が叫ぶか競争なのだそうだ。  新年のご挨拶に宮中に伺えるのを楽しみにしている。   

12月22日(日)

今日は増原の若い秘書の結婚式。  選挙が取り持つ縁でゴールインなので、仲人をする。  若い2人がとても幸せそうなので、こちらまで、ハッピーになる。  娘の結婚式を思い出す。  自分たちで何もかも決めて、当日行けば良いだけ、思い切り楽しい披露宴で、ずっ〜と笑いっぱなしだった。  しんみりする暇も無かった。  今回も楽しかったが、やっぱり最後もらい泣きしてしまった。  我が子の時はしないで、よそでいつもしんみり。  なんだか、我が子に対して薄情なのかと反省。  

12月17日(火)

広島の中心部の紙屋町には用事が無い限り行かないが、 今日はどうしても2,3の用事を済ませないと、と思い朝から出かけた。  狭い街だから必ず誰かに会う。  向こうから声を掛けてくだされば良いのだけど 私を知っている人全部を私は知らないから、失礼も生じる。  すれ違ったのに挨拶しなかった、失礼だと言われることもある。  デパートでふらふらとショッピングもしたいのだけど、あんなブランドを見ていた、なんて言われても嫌なので、用事を済ましてまっしぐらに帰る。  街に出るのも勇気とエネルギーが要る。

12月15日(日)

最近お友達になった方が 「第九ひろしま」 に誘ってくださった。  中国放送と中国新聞主催の2000人規模の大市民合唱団と広島交響楽団、それに今年はテノールに錦織 健さんも出演した。  久し振りのクラッシックコンサートで、心行くまで堪能した。  今年で18回目、合唱団も一糸の乱れも無く、広響もなかなか聞かせた。  何と言っても、市民参加型なので 超満員で、しかも全員で歌う所もある。  「フロイデ シェーネル〜〜〜」 歓喜の歌を 私もここぞとばかり声を張り上げた。  第九はやっぱりすごい曲、生で聴くと感動する。  22日と29日に放映される。

12月12日(木)

このところ、忘年会やら、クリスマス会が続いている。  増原が東京なので、代理で出ることが多い。  伺って、ご挨拶をしたり、 乾杯の音頭をとったり、 皆さんが着席して食べ始めると、すぐお酒や、ビールを注ぎながら、一人一人挨拶をして行く。    右にお酒、左にビールを持って、ポケットに名刺の束を入れて、回って行く。  世間話を取っ掛かりに、話をして行くと、応援して下さっている方か、そうではないかすぐ分かるから不思議だ。  人間って正直、表情や言葉の端に現れる。  でも、お酒が入ってくると、和んで 「よし、やっちゃろ!」 と威勢が良くなるが、酔いが覚めた時にちゃんと憶えてくださっているかしら、とも思う。  お座敷だと、膝が擦り切れるし腰も痛くなる重労働。  やっと全員にお酌をして、さあ食べようと思うと、お開きになる。

12月7日(土)

久し振りに小ぶくろ教室をする。  昨日の夜、必死で布を切って、材料を詰めてキットを15コ用意した。  婦人会の集まりで、集会所で待っていてくださる。  年配の皆様は昔取った杵柄で、お針は久し振りと言っても、すぐにできる。  出来上がりが嬉しく、しばしキモノ談義に花が咲く。  娘さんの名前が同じ 「千絵」 という方もいて、親しみが湧く。

12月6日(金)

3ヶ月もお休みしていた、陶芸教室に行く。  夏に作っていた茶碗が3つ素焼きされていたので、釉薬を掛けて焼きに出す。  久し振りなので何を作ったらよいのか分からない。  他の生徒さんの作っているものを見たり、聞いたり、ウロウロする。  今年は轆轤に挑戦していたのに、集中して作らないのでまったく腕は上がらなかった。  さっき釉薬を掛けたのも、ひしゃげている。  中心を取るのが難しく、作るのにエネルギーが要る。  今日は刺激を受けるだけにして、来週がんばろうっと。

12月5日(木)

夜広島で ある会の忘年会に招かれているので、午前中は掃除、洗濯、アイロンがけ、料理を作って冷蔵庫に入れ、午後の便で帰る。  忘年会は広島2区から出馬する平口さんの奥さんとご一緒し 「お互いに大変ね」 と励ましあった。  同じ官僚出身で粟屋先生の後継という立場。  一から選挙体制を作っていくのは、並大抵のことではない。  奥さんも涙ぐましい努力をしていらっしゃる。  自分の7年前を思い出す。         

12月4日(水)

今の所、両親が元気なので助かる。  母が行きたいというので、サントリー美術館に川端康成所蔵だった美術品を見に行く。  今更ながらに、すごいコレクターだったことが分かる。  国宝の池大雅や与謝蕪村の「十便十宜図」や浦上玉堂の「凍雲飾雪図」はじめ、鎌倉時代の聖徳太子像や縄文土器、ロダンの彫刻まである。  当時の書斎をそのまま再現してあったが、筆や水滴に至るまで、美しいものばかりだった。  美しいものを身近において、研ぎ澄まされた美の世界を作っていく。  そうしなければ川端文学は生まれなかったかのような、旺盛な収集力だ。  こんな美しいものばかりの中にいたら、わが身を振りかえってみれば、やっぱり自滅して行くしかなかったのも 分かるような気がした。  

12月2日(火)

月に一回は東京に来ているのに、来るたびに、建築ラッシュの東京に驚かされる。  羽田から入ってくると、汐留のビル群に驚かされるが、六本木を通った時は 急に未来都市に来た感じがした。  剥き出しの鉄骨が乱立して、なんだかとても不安定な気分だ。  24時間の眠らない街が来年には出現するのだそうだけれど、私の想像力では余りある。  何処へ行っても人が多く、レストランは満員だし、高級ブランドには人だかりがしている。  何処が不景気なのかと思う。

12月1日(日)

(右から4番目が私)

昨日上京して、むかしむかし、パリで通っていた学校の同窓会に行った。  9才の時、父の転勤でフランスに行った時に通っていたカトリックの修道院が経営する女子校で、日本人学校なんて無い時代に日本人を受け入れてくれたデュポンルーという学校だ。  会には、戦前、戦中に在学していた、おば様たちも来ていて、戦前のよき時代のパリの話や、戦争がはじまって、陸路、ドイツ、ロシア、中国と通って、命からがら日本へ帰ったすごい話で盛り上がった。  皆、共通しているのは、子供ながらに感じた異文化を何十年たった今でも、忘れられないで、むしろずっと引きずっていることだ。  先生が香水をつけていて、近くに行くととてもいい匂いがしたこと、10時のおやつにバナナやチョコレートを持っていったこと、日本ではアルミの食器に脱脂粉乳のミルクだった時代に 給食では スープとメーンディシュとデザートが出たこと、高校生のお姉さんたちにはワインがでたこと、(勉強のことよりも食べ物のことばかり印象にあるのは不思議)、毎日ブーローニュの森に散歩に行かされたこと、などなど。  次々に当時のことが思い出された。  子供を現在のデュポンルー入れている在日のフランス人のマダムが参加してたので、皆、会話はフランス語。  久しく使ってなかったが、すーと会話には入れたのは、やはり子供の時から身についているからかもしれない。  今でもずーとお付き合いしている、一緒に通っていた友達にも会え、しばし子供時代と昔のパリの生活を堪能した。


 

>>>> Home