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2005年11月

11月1日(月)

午後からの組閣でTVは大忙し。  サプライズだ、後継者だ、女性閣僚だ、etc、、、前評判が凄かったせいか、ちょっと拍子抜けな組閣だった。  それでも改革まっしぐらの実力派内閣で残された時間のなかで、どう改革が進むか見守りたい。  増原も今週中に総務大臣政務官を辞める事になる。  これまでご苦労様でした。


11月4日(金)

  

この連休?息子が時間があるので北海道に来ないか、と珍しく言ってくれたので、"お言葉に甘え"、万難を排して行った。

どんな風に過しているのか、元気でやっているのか、親としてはちょっと心配だったので、元気にしているのを見て嬉しかっしほっとした。  

白樺やポプラ、蝦夷松などなど、北海道特有の木々がちょうど紅葉の時で、素晴らしくきれいだった。
レンタカーを借りて2人であちこち行った。  北海道の道は工事中だらけだった。    
岬に行こうとするとトンネルを沢山通過した。古いトンネルのすぐ横に、新しく素晴らしいトンネルを作っていた。  一日何台車が通るのかしらと思うような寂しいところなのに。

このご時世なのに、公共事業が盛んだ。  折りしもニュースで道庁職員の給与を10%カットする、と言っていた。  北海道は起債制限団体になる寸前らしい。   
ともかく、気持ちの良い休日を息子と2人で過ごすことが出来て幸せだった。  こんな事はもうないだろうなあ。

帰ってから、増原が 「顔が穏やかになったね、楽しかったのかい?」 「そうよ。  気持ちが良かったわ。  あなたも来ればよかったのに。」


11月6日(日)

朝から雨で、町民運動会が延期になった所もあったが、区民祭りは決行だという。  このお祭りで、ライオンズは毎年バザーをしているがこの雨では、、、と思いつつ支度をしていたら、急に気分が悪くなった。  で、今日のお手伝いはお休みした。  この所、面白い本に出会っていたので読書を決め込む。  『ダヴィンチ・コード』 『我が名はエリザベス』 いずれもお勧め。


11月8日(火)

ハルカが幼稚園のお受験に合格した。  この間生まれたと思っていたのに、もう4歳になり大きくなったことを実感する。  これから長い長い学校生活が始まる、その前段の幼稚園教育は一番大事だと思う。  それをママと同じ環境で過ごせるのは幸せ。  このまま高校まで心配が無いのも幸せな事だ。  思いっきり好きな事をして欲しい。  今までの保育園には大変お世話になって有難かった。  母親以上の行き届いた教育をしてもらったと思う。  娘を見ていると、今の働く世代の子育ての苦労が分かる。   ところで、働く母親にとって、早く終わる幼稚園は大変。  一体どうするのかな?  アテにされても困るけど、、


11月10日(木)

私の大事な友達、もう35年来の友達、と言うよりは姉妹のような関係の友達たちが居る。  何かというと集まっては刺激しあう、もう遠慮も何もいらず、会ったとたんすっとそのまんまでいいのが嬉しい。  昔1970年に私たちは万博のエスコートガイドと言うのをしていた。  色々な語学ができて才色兼備で万博の花ともてはやされたものだ。  別に自分たちは花だという自覚がぜんぜん無く、ちょっとしたアルバイト感覚で仕事をしていた。  私は一番年下できれいなお姉さま方を眩しく見ていたものだ。  そのときの友達の何人かがそのまま35年経って、還暦を迎えた。  皆でお祝いしたお姉さま方は依然としてきれいで、楽しく、屈託が無い。  眩しい還暦の姿を見て、私も美しい還暦を迎えたいと思った。

11月11日(金)

増原が風邪を引いた。  熱は無いけど咳がでて、気分がすぐれないらしい。  普段が元気だから、ちょっとでも調子が悪いともう大変だ。  あったかいお茶が欲しい、上に掛ける毛布が欲しい、やれ体温計だ、ビタミン剤だ、と この際とばかり、人をアゴで使う。  なんでも 「はいはい」 と言ってあげると、気分が良くなるらしい。  お安い御用よ、「はいはい」 と言うぐらい。


11月12日(土)

増原の風邪が本格的になって、「はいはい」 と言うだけでは済まなくなって来た。  今朝の郡部である行事に行くのがつらいので代わりに行って欲しいと言う。  「恩にきるから」 と言う。  今まで 「恩にきる」 事は沢山あったと思うが、たっての願いだから、 「はいはい」 と言って代理で出かけた。  外の吹きっさらしでの行事、時折日が差して暖かくなるが風が強くて寒い。  次の行事は体育館の中、やれやれと思ったが、これまた底冷えして、小さなストーヴ1個では間に合わない。  終わって外に出たら日差しの暖かい事。  「はいはい」 と言って良かった、これでは風邪がもっとひどくなったと思う。


11月13日(日)
北広島町の大朝に 「天狗しで」 と言う天然記念物の木がある。  えもいわれぬ曲がりくねった木だ。  そこに湧き水があって、この度、地元の方々が整備して 「天狗の水」 と銘打って取水できるようになった。  なんとも柔らかくて甘い水だった。  きっとこの水でご飯を炊いたり、お茶をたてたらおいしいに違いない。  ミネラルが豊富で美容と健康に良いそうだ。  水を買う時代なのに、ここは無料。  下の田原温泉で空のペットボトルを売っているので、それを買って取水して帰ればよいのだ。  口コミで広めたいとのこと、そう、女性の口コミはすごいんです。 


11月14日(月)

もう国会が終わったので、「暇でしょう」 と言われるが、まだまだ増原は忙しい。  予算があったり、陳情があったり、党の税制調査会があったり、その他もろもろの勉強会やら調査会があって、今朝また、東京へ行った。  増原の風邪はちょっとは治まったけど、一人で大丈夫かしら、私も東京に行かなくちゃ行けないかしら、でも、地元でもいろいろあるし、、、どうしたいいかしらと迷うが身は一つ。


11月15日(火)

紀宮さまのご結婚式にとっても考えさせられた。  天皇家の結婚式だが普通の人とのご結婚。  いわば国民のお手本になるもの。  ご両親の嫁ぐ娘への愛情の深さは勿論、宮様のご決意が随所の現れて、結婚式はこういうもの、というお手本だった。  ちゃらちゃらとお色直しをしたり、派手にパーフォーマンスをしたりするのが恥ずかしくなるぐらい、お人柄そのものの穏やかで落ち着いた、心のこもった結婚式だった。  それにしても、アナウンサーの敬語の言葉遣いが滅茶苦茶だった。  アナウンサー、キャスターはもとより、放送局の常識が問われるものだった。  昔だったら不敬罪もの。


11月16日(水)

昔お世話になった方たちに毎年秋に広島産の松茸を送る事にしていたのに、今年は天候不順で今まで待ったけど、出荷が無かったので送れなかった。  いつもは 「うちの山で採れたから、お一つ」 と言って、持ってきてくださる方もいなかった。  雨が極端に少なく、去年は豊作だったのに今年は全く採れなかったらしい。  その代わりに何をお送りしようかととっても迷った。  遠くにいる年配のご夫婦には何がいいかしら。  迷いに迷って、ほんの一口のおいしい穴子のおこわにした。  広島名物って案外少ない。


11月17日(木)

抜けるような晴天の日、集って岡山へのバスツアーに行った。  まずは国分寺。  江戸時代に再建された五重の塔が美しい。  物静かな風情の中に歴史を感じることが出来て心が落ち着く良い所だった。
国宝の旧閑谷学校はちょうど楷の木が紅葉の真っ只中。  鮮やかな赤が光の中に輝く。  この紅葉が見たくて春先から今日のバスを予約していた甲斐があった。  紅葉は日差しが無くては半減、山の中は天気が変わりやすくて、危機一髪だった。
旧閑谷学校では思い思いに過ごして、皆大満足。  次に備前に行って、これまた思い思いに過ごした。  私は陶芸美術館で人間国宝の備前や古備前を見てからお店を回った。  沢山有ってどれにしたらいいか分からなかったけど、素敵なお店を見つけて、お急須を一つ記念に買った。
今日一日とてもいい日を過ごして、皆嬉しくいい顔をして帰った。  一家の主婦がいい顔をして帰れば家族にとってもいいこと。  非日常のこういう日は皆に必要なのでまた行きましょうと、楽しい事はすぐ決まる。  明日帰ってくる増原にやさしく接してあげよう。  


11月19日(土)

増原の風邪はすっかり良くなって、ほっとする。  何でも 「はいはい」 と言ってあげたからかしら。  それにいい日一日を過ごしてやさしくしてあげたからかしら。  今日、明日とあちこちで行事があるのに代理で行かなくて済む。  夜は 「語る会」 が2箇所。 郡部での会合では久しぶりで飲んだと上機嫌で帰ってきた。  何しろ体が資本だから、元気でなくちゃ始まらない。


11月20日(日)

この所、落ち着いた日々が送れているので、気分一新して久しぶりに袋を作る。  前のように根を詰めて作るのやめて、少しづつ作るようにした。  楽しみながら布を選んで、切って、アイロンでテープを作る。  早く組んで模様を見たいけど、我慢しながら少しづつ、少しづつ、と言い聞かせる。  途中で女子マラソンを見る。  高橋直子が見事優勝。  夢に向かっていくのが大事とさわやかな笑顔で答えている。  日々の練習に裏付けされた自信がないといえない言葉だ。  私も何か夢を待たなくちゃ。 


11月22日(火)

ITCの中国九州地区の大きな会合が年3回行われるがその一回目が広島で開催された。各地区から110余名が参加。  その準備のお役が当たってこの所忙しかった。  企画書づくりの説明とワークショップがあって皆熱心に拝聴した。  この会はいつもレベルが高く、他の仕事に役立つ事ばかりなので、緊張もし頭もフル回転で疲れる。  それでも全員女性の参加者は皆生き生きとしている。


11月23日(水) 

早いけど忘年会をしましょうと、ある地区の女性会に誘われた。  10年前広島に来た時からの支援者で当時の話に花が咲く。  そこからだんだんと昔話になり、戦前の学校給食の話まで出た。  「昔は日の丸弁当を持って行って、日替わりでお母さんたちが作るお汁が楽しみで、、、」 「食べるものが無かったけど、父が漁師だったから、魚だけは食べれたよ、、、」 「教室に囲炉裏がきってあって、網を架けてその上にお弁当箱を載せて暖めたりしたねえ、、、」 「皆がぞうりはいて、つぎはぎだらけの綿入れ着て行ったねえ、、、」 ちょっと世代が違うけど、皆さん懐かしそうに、嬉しそうに昔を思い出していた。


11月25日(金)

事務所に居ると色々な方が来て、色々な相談事を持ってこられる。  困っている事を伺って、どうしたらよいか一緒に考える。  本当に同情すべき事が多く、どうにかして差し上げたい思いに強くなるが、中々すぐに解決できない事が多い。  方策を考え、手順を考え、事務所でできる事とできない事を申し上げる。  何よりもよく聴く事が大事だ。  それで相談者も考えがまとまったり、すっきりしたり、ほっとする。  政策などの陳情などと違い、生活に密着している事が多いだけに身につまされる。


11月27日(日)

実家の父母たちにいつも 「転ばないように用心してね」 と言って、それが挨拶代わりになっているのに、私の方が転んでしまった。  町の階段で靴のヒールがズボンと絡まって転んだ。  幸い手すりに掴まったので、頭は打たなかったけれど、お尻で数段落ちてしまった。  痛いのとビックリしたのとで、しばらく呆然として階段に座り込んだ。  男の人が血相を変えて近寄って声をかけてくれた。 「大丈夫ですか?」 有難かった。  夫でもあんなに心配そうな顔はしてくれない。


11月29日(火)

物騒な事件が起こって、怖くてニュースが見られない。  チョコレートが大好きなハルカに 「知らない人にチョコレート上げるからおいで、と言われても誰にも付いて行ってはダメよ」 と何回も言った。  勿論パパとママは口をすっぱくして言ったらしいし、大じじや大ばばまで言うものだから 「分かったからもう言わないで!!」 と嫌がられてしまった。  これだけ言ったら頭の芯まで届いたかしら。  イギリスでは学校の送り迎えは勿論、10歳までは親の監視下に居なくてはならず、一人でいて交通事故にあったらドライバーの責任にならない。  日本もそうしたらよいと思う。  小さい子供が一人でふらふらしていると心配でならない。