2月2日(金)
幼稚園のお迎えは1時だけど30分ほど園内で遊ぶ事が出来る。 どんな風に日ごろ遊んでいるか垣間見れて興味深い。 ハルカはもう一人のお友達とジャングルジムの天辺でお山の大将をしている。 下から男の子たちが 「ハルカちゃんいれて!」 「ハルカちゃんいれて!」と叫んでいるがそ知らぬ顔。 さっさと登って一緒に遊べばいいと思うのに、そのうち男の子たちが先生に 「入れてくれない」 と訴えに行く。
最近の女の子は強い。 いくら 「女性は産む機械」 なんて言われて差別だと叫んでも、「私はいやよ、産まないわよ」 と言える強さがある。
2月3日(土)
大型ゴミを5個処分した。 要らないベッド、棚、ゴルフ用品、ラジカセなど。 パソコンで申し込んでコンビニで券を買って貼り付け朝の8時にゴミ出し所に出した。 何ヶ月も前から処分したいと思っていたのがやっとできた。 ゴミを処分するのは本当に大変。 さぞすっきりすると思ったが、案外そうでもなかった。 まだまだ片付けなくていけない。 物って要らない。
2月5日(月)
ハルカは赤ちゃんが好きだ。 お迎えに来たお母さんに連れられてくる赤ちゃんを一人一人覗き込んであやしている。 「かわいい〜」 「早く大きくなって一緒に遊ぼう!」 お姉さんになる準備ができてきたかな。
2月6日(火)
母は今日が卒寿(80)の誕生日。 先週来風邪を引いて点滴を打ってもらったりしていたが、連れ出して弟夫婦とお祝いの食事に行った。 ずーっと食欲がないと言っていたのに、今日は 「おいしい、おいしい」 と言って良く食べてくれた。 外に連れ出すと気分も変わったのか、私の分まで箸を伸ばして、、、食欲が出たようだ。 「これで90まで生き延びられるわ」 時々は連れ出さないといけない。 父も母も 「思いがけずこんなに長生きしてしまって、人生あっという間だった。 お陰さまで幸せ!」 と喜んだ。
2月7日(水)
広島も暖かい。 日差しが違う。 空港からの山陽道から見える山々に靄がかかっている。 東京も暖かかったけど、ここも春かなと思うような空気だ。 今年は暖冬で夏が思いやられる。 今世紀末には北極の氷も解けてしまうとか。 恐ろしい。
2月9日(金)
東京に続いて広島でも粗大ゴミを捨てた。 身の周りをスリムにしたくて。 インターネットで探してみたら、 処理場は同じ安佐南区の沼田にあって、自分で持ち込めば無料だという。 早速行ってみた。 入り口でカードを貰い、指示通りに行った先で自分で車からゴミをおろして完了。 簡単だった。 ゴミを捨てるのも温暖化に繋がる。 なるべく物を買わないようにしよう。
2月11(日)
4月の統一地方選に向けて、市会や県会の議員の選挙用事務所開きが始まっている。 増原は朝から駆け巡っている。 日にちが決まっている選挙は予定が立てられていいなと思う。 建国記念日の式典や国政報告会もこなして、帰宅は遅くなったけど、朝から煮込んでいた”キムチ風おでん”を食べてほっと一息。
2月12日(月)
近くのカトリック教会に新しいパイプオルガンが入りそのお披露目のコンサートに行った。 そこの神父様は東京の娘の幼稚園・小学校時代に、教えを頂いた神父様で、めぐりめぐって、何十年後ここ、広島でしかも安佐南区内で、またお目にかかるとは思いもしなかった。 不思議なご縁を感じる。
2月13日(火)
今期、増原は予算委員をおおせつかり、予算委員会に出ている。 今朝からTVが入り、どこに居るかな?と探すが、質問者の2つ後ろの席で中々映らない。 席順はあいうえお順で決まるそうだ。 残念! 時々カメラが引くと見えるので、目を凝らす。 身内なればこそ。
2月14日(水)
明日のITCの例会で年に一回のスピーチコンテストのコンテスタントになったので、猛準備。 昔から一夜漬けしか出来なかったが今も同じ。 論題とカテゴリーが与えられて、8分のスピーチを作る。 人前でしゃべるのが大の苦手でそれを克服するために勉強しているのに、まったくいつまでたっても嬉しくない。 声が篭るのと、歯切れの悪さが難点。 内容が良ければ、と思うが、中々いいのが思い浮かばない。 ああ、明日、風邪ひこうかな。
2月15日(木)
いよいよコンテスト。 3人の審査員と50名近くの聴衆の前で始まる。 出だしが肝心なのに、マイクが入っていない。 気を取り直してやり直す。 落ち着くどころか、心臓のドキドキ音が聞こえてくる。 もっと間を取って話したほうがいいのに、やたら早くなる。 ドックン、ドックン。 心臓が飛び出しそうだ。 やっと終った! 結果はともかく、参加することに意義があった。
2月16日(金)
友達のイギリス人に、どうして日本人はいつまでも敗戦を引きずっているのかと尋ねられた。
彼の意見は、首相が靖国に絶対に行かないと明言し、南京に行って頭を下げて陳謝すれば、もう、ODAは要らず、アジア諸国も納得し、国連の安保理入りも果たせ、日本はアジアの中心になれる、と言う。 1970年にドイツのブラント首相がワルシャワで行った行為でドイツは敗戦から復興した例を挙げた。
このまま中国、インドに抜かれてアジアの2等国になってもいいのか?それとも日本の国力を高めたいのか?一刻も早くしなければならないと言う。
日本人のあいまいさは国内では支持されるが、世界から見れば時と場合、不合理でおかしいものだ。 世論を説得し行動できる勇気ある首相の出現が望まれる。 戦後すでに61年、これも一つの支持されるべき意見だと思う。
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1970年1月ブラント首相ワルシャワにて(google,imageより)
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2月17日(土)
久しいぶりに布でも触ろうかと思って、押入れから布を出した。 触らない間にも、またまた溜まっていて、「早く作って!」 と言っているようだ。 整理するが、要らないものはゴミ袋一杯にもならない。 着物や帯はどれも絹、いとおしく、小さな切れっぱしでも捨てられない。 母が布で一杯の自分の部屋を前にして 口癖のように 「これを片付けないうちは死に切れない」 と言っているのと同じだ。 親子いつの間にか似てしまった。
2月20日(火)
ご近所でお雛様を見せてもらった。 享保の雛人形、明治の比較的新しいものや、自分で作った江戸ちりめんを着たお雛様がたくさん並んでいる。 傘から垂らしたさげもんの可愛らしい小物やお道具も有ってお雛様の館のよう。 女性は幾つになってもお雛様に愛着がある。 久しぶりに私もお雛様を飾ってみよう。
2月22火(木)
病院にお見舞いに行った。 市民病院に新しい病棟が出来て、すっかり綺麗になって良かったな、と思う。 病気の時は気が滅入るから、せめて建物が新しいと気持ちがいいものだ。
8時間に及ぶ大手術を先週したばかりなのに、もう元気に歩いていらした。 回復が早く、来週末には退院で、もう仕事のことを考えている。 せめてゆっくり休養して下さい、と思うけど、じっとしていられないのが元気な証拠かもしれない。
2月23日(金)
増原が予算委員会で質問に立った。 40分間、NHKで放映された。
身なりは?ネクタイは?きちんとしているか心配だった。 こんな時、私は広島でそばに居ないなんて、、、電話であれこれ言えば煩がられるし。 でもまあきちんと見えたからほっとした。
質問の内容は勿論、声も、話し方も安心して見ていられた。 昨日の公聴人の非正社員のこと、地元のことなど、格差問題について質問したが、財政再建など、まだまだ言いたりないことがあったみたいだけど、時間切れ。 40分間が短かった。 無事に終って良かった。
2月24日(土)
昨日の質問のTVを見てくださった方々が激励のメールやファックスを沢山送ってくだった。 電話もあって、大好評だった。 中には正座して見た、と言う方も居て、本当に恐縮した。
TVの威力は凄い。 露出度が高いと一回の国政報告会よりずーっと効果があるから、競ってTVに出るのが分かる。
でも、タレントのような議員にはなりたくないと言う。 増原は誠実に、着実に、普段していることを積み重ねて、それが評価に繋がれば良いと、あくまで正攻法でと思っている。 このような機会を頂いて感謝。
2月25日(日)
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近所の毘沙門様のお祭りに増原と一緒に行く。 例年この時期寒さが厳しいのだが今年はうららか。 我が家から30分ほど上ると広島市全体が見渡せる山の斜面に出る。 遥か向こうに宮島や似島が。 市内にある高層ビルも見える。 住宅の密集が途切れ、ここの谷は田んぼや畑があって、農業をしている人も多く、一瞬昔にタイムスリップしたような地域。 しかし、昔ながらの細い参道の両脇が少しづつ変わって来て、今まであった家が取り壊され宅地になっていたりする。 |
毘沙門様は商売繁盛の神様だから、市内からもお参りに来る人が多い。 沢山の方に出会う。 「国会中継を見た」 と言って下さる方が多かった。 お札や5円玉が入った福銭の袋や紅白のお餅を頂いた。 途中にあるお好みやさんでお好み焼きを買って帰った。 広島に来てはじめて食べたここのお好み焼きが私たちのソウルフード。 ここのが一番おいしいと思っている。
増原は明日朝からの予算委員会のために夜の便で上京した。
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2月27火(月)
ひさしぶりで友達と集まった。 お正月以来色々な不幸があって、それぞれが大変だったのが一段落したので遅い新年会をした。 皆通る道だから、いろいろあるのは仕方がない。 大事なのはそれにもめげずに楽しく生きることだ。 考えよう一つで変ってくるから、わいわいやりながら前向きに気持ちを整理して行く。 こういう時こそ、友達が有難い。
2月28日(火)
参議院全国区の活動が活発になっている。 ある議員が広島で励ます会をするので、増原の代理で伺った。 議員の人となりが分かるので興味深く演説を聞いた。 議員として何をしたいのか、推薦を得ている団体にどのように寄与できるのか、さらにどのような日本にしたいのか、自分の言葉で説明するのは難しい。 中々伝わってこないもどかしさがあった。
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