home/diary/album/hobby/profile


5月の日記 
              
5月8日(火)

このGWに増原とイランへ行って来た。  前々から行きたかった国だが、危険なのではと、敬遠していた。  しかしイランに住んでいる友達から、 「大丈夫、国内はいたって平和だから」 と聞き、行くことにした。  ツアーに参加して修学旅行のように楽しい旅だった。

政治家は独自の歴史観、世界観を持つべき、と増原は歴史ある国を訪ねるのが好きだ。  イランはシルクロードの西の果て、何年か前に行ったサマルカンドの先がどうなっているのか知りたがっていた。  私を連れて行くのは 「ああだった、こうだった」 と講釈する時に 「そうだったわね」 と相槌を打って欲しいから。  もちろん私も好奇心の塊だから、どこへでも行きたい。

イランはアラブではない、ペルシャだ、というのがイラン人の誇りだ。  イラン人のガイドから何回も聞かされた。  文字もペルシャ文字、言葉もペルシャ語、人種的にもアーリア人でアラブとは違う。  イスラム教もシーア派が主で、アルメニアキりスト正教、ユダヤ教、ゾロアスター教などさまざまな宗教がある。


テヘラン、シラーズ、イスファファン、ヤズド、テヘランと、7日間駆け足で回り、思い出一杯、楽しさ一杯、好奇心一杯、リフレッシュ一杯の旅だった。


5月9日(水)

現実が目の前に。  山ほどの洗濯、掃除、ハルカの子守、父母、食事、地元との連絡、、、  でもしっかりリフレッシュした後だから、身が軽い。


5月10日(木)

4月24日に東京で励ます会をした時に、ご挨拶した私のスピーチが良かったと、同僚議員の先生がご自分のHPに載せて下さった。  恐縮する。  
http://d.hatena.ne.jp/tani1109/


5月11日(金)

広島に帰る。  緑鮮やかで新緑が綺麗。  緑があるということは水があるということ。  砂漠を見てきただけに、水の有難さが身に染みる。  いずれ世界は水の奪い合いになる、という気がする。


5月13日(日)

恒例の草刈に芸北へ行く。  今年は機械軍団総勢9人で梅雨前にすることにした。    もう植えて5年もなるので、木々も草より大きくなり、かなり刈り易くなってきた。  

いつもなら有志を募って沢山の人々で人海戦術で行く所、今年は機械だけで行った。  いっせいに機械で刈って行った。  時間もたいしてかからなかった。  段々里山になって行くイメージが湧いてくるように大きくなって嬉しい。

この上ないお天気で爽やか、とっても良い森林浴をした。  山の緑は水を保湿するために欠かせないものだ。  水は今の私にとってキーワード、日本は水が豊富で有難いが、日ごろのこうした努力も欠かせない。


5月15日(火)

市内のデパートでグレース・ケリー展をしていて、モナコ観光局が招いてくれた。  お昼を頂きながら、モナコのPRを見せてもらった。  小さいけどきらっと光る国。  色々な努力をしていると思った。  「小さいけどきらっと光る」 は自治体の合言葉のようだが、それも努力次第。  

王妃が創作した押し花絵が沢山飾られていた。  一人で何かに没頭することは、古今東西、地位にかかわらず、人間にとって必要なことなのかな。


5月17日(木)

お庭のバラが綺麗に咲いたから、とお招きくださった。  70もの鉢に見事なバラが咲き誇っている。

紫、ピンクの濃淡、真っ赤、黄色、、、色とりどりのバラ。  バラ作りは難しいと聞く。  さぞ、丹精込めて育てて来られたのだろう。  

お部屋の中もバラ尽くし。  誠に心地よく過ごさせて頂いた。


5月19日(土)

イランでの食事がマトンばかりで口に合わなかったので、増原は魚が食べたいといってこのごろは魚ばかり食べている。  お刺身はもちろん、今が時期のアサリの酒蒸しや金目鯛の煮付け、何を食べてもおいしい。

日本の食事は本当に贅沢だ。  野菜も豊富だし、肉、魚も豊富だ。  料理も色々あってヴァラエティーに富んでいる。

イランでは野菜はレタスにきゅうりとトマトぐらいしかなかった。  他には豆類のスープやくたくたに煮た茄子があった程度。  内陸だったので魚は皆無。  変化に乏しく毎日同じようなメニューでたった7日間でも飽きてしまったぐらい。  でも自給率は70%。  見渡す限りの麦畑もあった。  つましい食事でも自前でまかなっている点は立派だ。


5月21日(火)

事務所には秘書が5人居るが、それだけでは手が足りないのが現状だ。  ボランティアの方々がお手伝いしてくださるのでどうにか成り立っている。  

今、短期間でポスターを参議院選挙用に変えなくてはいけないが、場所が多くて中々追いつかない。  そこでボランティアの方々のお手伝いをお願いすることになる。  

今日は真夏日になって日差しも強く熱中症になりそうな日だったけど、お陰さまでだいぶはかどった。  ボランティアの力無くしては成り立たない事務所です。


5月23日(水)

大病をした友達から中々すっきりしないので悶々としている、と電話があった。  それなら美味しい物でも食べに行って気分晴らしを、と誘ってみた。  

思ったよりずーっと元気そう。  一年ぐらいは無理せずごろごろと過ごしていたら、と言ってみるが、本人にしてみれば元の元気さに早く戻りたいのだ。  

調子が良くなればそれ以上に頑張ってしまうらしい。  そして又具合が悪くなる、その繰り返し。  きっと私でもそうしてしまう。  長い目で見れば、この一年ぐらいゆっくり過ごしたほうがいいのに。

5月24日(木)

ふくやま美術館でお茶の名碗展を見に行かないかと誘われて、行った。  暑い日で、少々くたびれたけど、中々見ごたえのある展覧会だった。  広島市内では見られない良い展覧会が福山であることが多い。

重要文化財の赤楽や油滴天目などはすっきりとしていて、掌に丁度良さそうな小ぶりのものだった。  自分の掌で持った所を想像してみると、名品たる所以が判ったような気がした。

今までお茶碗に興味が無かったけど、井戸茶碗が渋くて好き。  楽も品があっていいなと思った。  


5月25日(金)

一つのことが終ってほっとしていると、またまたすることが出て来る。  しなくてはいけないことを書いたメモが全部線で消されて、頭がリセットして、ボーっとしていると、又次にすることが湧いてくる。  エンドレス。  誰でもこうかしら、と思ってみるけど、やっぱり貧乏性で一生あくせく暮らすのかしらと恨めしくなる。


5月26日(土)

腱鞘炎だった右手がようやく痛くなくなって来たので、久しぶりに袋を作ってみた。  

夏用の袋が欲しかったので、あれこれと押入れの中を探して、これというので作ってみたが、博多帯だったので布が硬く針が立たない。  

アイロンも力を入れないと紐が出来ないのでしまったと思ったが、とりあえず作ってみた。  

なかなかの出来栄え?  今年の夏はこれで過ごせる。  素敵なバッグが巷にあふれているが、私には無用。  世界に一つしかないマイ・バッグ。  でも又右手があやしくなった。


5月27日(日)

増原は朝から、各地で行われる運動会へ挨拶に行った。  季節が良いので町民運動会が盛んだ。  今月は毎週毎週10ヶ所ぐらいはある。  気温が高くなったから大変だ。

国会では社会保険庁の法案が通り、TVでは朝から批判が続出している。  5000万件もの不明なものがあるというのは気が遠くなるようなずさんさだ。  批判だけでなく、前進するような議論をして欲しい。

事務所でさえ後援会に手紙を出すと、毎回100通以上が宛先不明で戻ってくる。  それだけ移動が激しい。  自分の大事な年金のことだから、あなた任せにしないで、各自が積極的に問い合わせる努力が必要だ思う。  貰っている人も、これから貰う人も、若い人も、これを機会に
分の年金を自分で確認したらどうだろうか。  私も確認してみよう。


5月29日(火)

衝撃だった。  現職大臣が自ら死を選ぶなんて!  それもあの赤坂の議員宿舎で!  あの豪腕で知られた議員が。  ことの意味の重大さと、ご家族のことを考えると、重苦しさがのしかかる。


5月30日(水)

自民党衆議院議員の妻の会があって、丁度東京にいたので出席した。  同じ議員の妻として昨日の悲劇をどのように皆さんが感じているか知りたかった。  

しかし黙祷もなし、会の会長は総理夫人だが、告別式に出席して欠席、その理由も公務のためという。  会はまるで何事もなかったかのよう。  左右の奥さんと小声で話すぐらい。  議員でなくなれば表向きは他人事なのかしら。  

党の存続に関わればこぞって選挙を応援するが、そうでなければ 「這い上がって来い」 と冷たいもの。  そして這い上がってきた者が去ってしまえば、それで終わり。  そして次の人が現れる。  それが政治の世界。  いや、どこの世界も同じかもしれない。

告別式での奥さんは気丈だった。  私だったら、、、あんな時にきちんとしたご挨拶は出来ません。  増原にもそう言って、釘をさした。


5月31日(木)

3日経ったらもう既に他のニュースが現れ、新聞にも記事が見当たらなくなった。  これで幕引きしてはいけない。  国民の政治家不信を払拭して欲しい。  真面目でクリーンで一生懸命国のために頑張っている政治家も一杯いるのだから。