7月1日(火)
増原は今日から予算委員会理事会で中東の視察に行った。 オイルマネーやオイルファンドの現状や、産油国なのにすでに脱オイルを行っている太陽光発電所などを見に行った。 今日は夕方から自民党税制調査会があって、そのあと、羽田から関空へ,深夜便でアブダビへ。 11時ごろ、 「これから行ってくるよ。」 と電話があった。 「行ってらっしゃい。」
7月2日(水) |
年に一度、以前 「みどり会」 で植樹した芸北に下草刈りに行く。 今年でもう6年目。 植えっぱなしが一番いけないということで毎年草刈りをしている。
シトシトと雨だったが、精鋭草刈部隊、7名+2名で決行。 7人のサムライと7台の機械でいっせいに刈って行った。
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私の背丈よりも大きくなって、草刈りも楽になった。 でも蔓草が沢山絡まって幹を締め付けている。 鎌で蔓を取るのは決行重労働だ。 支柱を沢山持っていったけど、もう必要ないぐらいに背が高くなってきた。 そのうち間引かなくてはならなくなる。 どなたか要りませんか?桜ともみじも木。 |
もう一箇所、大朝の寒曳山の入り口の桜も見に行った。 生き残っている桜は40本。 どんどん少なくなるのは、冬場除雪する時に倒されてしまうから。 こんなに大きくなってくると、残念だ。
それでも残った40本の桜で来年はお花見しよう。 |
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7月4日(金)
重装備で行ったのにもかかわらずあちこち虫にかまれた。 軍手の上からも噛まれて痒いこと、カユイコト。 おでこや耳まで噛まれて、、、 虫除けスプレーを持っていけば良かった、と後悔しきり。
7月5日(土)
家のめだか、今年は卵を産まないわ、と思っていたら、小さな子供、4mmぐらいの黒い筋が動いているのが見えた。 まだ1匹しか確認できていないけど、何匹か居る筈だ。 嬉しいし、可愛い。 またせっせと餌をあげなくては。
7月7日(月)
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ご近所さんが七夕しませんかと誘ってくださった。 七夕にかこつけて持ち寄りで大ご馳走会をする。 短冊に「次の選挙に当選しますように!」 「みんなが幸せでありますように!」 と書いてお願いする。 |
7月10日(木)
日経新聞の夕刊に小さな囲み記事、「私の1冊」 に増原が出た。 残念ながら広島では日経の夕刊が無いので地元では目にした人が居ない。 ここに引用する。
増原義剛衆議院議員は折に触れて司馬遼太郎の「坂の上の雲」が描く明治時代と、その後の日本の姿を思い起こす。作品との出会いは大蔵省に入った1969年の夏。国会大気の合間を縫って一気に読破した。欧米列強を目指し、近代日本の発展に身を投じた軍人、秋山好古、真之兄弟の情熱に魅了された。
印象深い場面は日露戦争の日本海海戦。海軍参謀の真之は敵の進路を遮る形で自らの艦隊を横一線に並べて砲撃するT字戦法で無敵とされたバルチック艦隊を破った。坂の上を目指していた日本には他国には無い知恵と情熱があった。だが、、、日本は列強入りに慢心し、大戦に突き進んでいく。
戦後、再び坂を駆け上がり経済大国となった日本のバブル崩壊と稚拙な不良債権処理。入省二十数年目に目にした景色は、国家の方針を誤った 「坂の上の雲」 の後の時代と重なって見えた。 「秋山兄弟の時代から戦後まで共通するのは、にほんは国際情勢の変化に常に適応しなければ生き残れないということだ」。 名作を読み返しつつ、40年近く公職にあるものとして自戒を込める。
7月11日(金)
増原が中近東の視察から帰ってきた。 私にとって好奇心一杯の地域だから、これから話を聞くのが楽しみ。 まずは 「熱かったあ〜〜 日本が涼しいよ!!」 でした。
7月12日(土)
息子とミホチャンが広島に来た。 当たり前だけど仲が良い。 「僕たちも昔はあれぐらい仲が良かったっけ?」 と増原がやっかむほど。 いつも何かおしゃべりしていて笑い声が絶えない。 息子は無口だとばっかり思っていたのに!! ミホチャンは私たちが聞き飽きた増原の話を熱心に聞いてくれて大助かり。 若いお嫁さんがまぶしく映って私たちも気がはしゃぐ。 家族が増えるっていいなあ。 でも21日には息子は出発するし、 せっかく増えたのに。
7月21日(月)
嵐のような一ヶ月だった。 息子にすればするべきことをすべて思いのまましてNYへ赴任して行った。 2ヶ月ほど前、NY行きが決まった時、 「誰かと2人で行けば楽しいのに誰も居なくて残念ねえ」 と言ったら 「そうだね」 と、 すました顔で答えたのに。 まさか本当に2人で行くことになったとは!!早業だわ。
昨日の両家の家族顔合わせの会は実に楽しかった。 ミホチャンはもう振袖が着られないからといって、振袖を着た。 お母さまも着たという黒地の着物が良く似合って綺麗!! 2人並ぶとお似合いのカップル。 幸せ一杯を皆に振りまいてくれた。
実家の母は先週持病がひどくなって入院していたのに、この日のために頑張って出席した。 父も一家の長老として乾杯の音頭を張りのある声でしてくれた。 80代の2人にとってもハレの日だった。
増原は朝の便で上京し、時間に危うくセーフ、息子たちの姿を目に焼き付けて日帰りした。 ハルカにはミホチャンが憧れのプリンセスに見えたらしい。 ミキチャンも愛想を振りまいて興奮気味。 お得意のバンザイをしてくれた。 あちらのご一家も良い方ばかりで、旧知のようにざっくばらんで楽しんだ。 本当に良いご縁を頂いたと、嬉しさ一杯だった。
7月22日(火)
赴任前の飲み会やら、友達へのお披露目会が続いて、引越しの荷造りがさっぱり出来ず、いつもながらギリギリまで引きずって、やっとの思いでダンボールを出した。 トランク詰めも大騒ぎして荷造りして送り出したら、家の中がポッカリ穴が開いたよう。 狭い家がひろ〜〜く感じる。
部屋に残されたのが小学生から使っていた勉強机と本箱、望遠鏡にホッケーの防具。 涼しくなったら片付けて、ここを私の部屋にしよう。
今頃着いたかしら? どうしているかしら? 肩の荷が下りたとはいえ、ちょっぴり寂しい。 私って子離れが出来ていなかったのだわ。
センティメンタルに浸る間もなく、娘から子守の催促。 「いいわよ。 ミキチャン楽しいから」 と即答。 ミキチャンのお得意芸は、政治家の孫だからやっぱりまず 「バンザイ!」 それに 「トト」(金魚) 「バイバイ」。 手を持ってあげると2,3歩 歩くようになった。 明日で10ヶ月、大きくなったものだ。
夕方の新幹線で帰広。 しかし4時間は長〜〜い。
7月24日(木)
心にポッカリ穴が開いた、エンプティネス症候群になっていたのも2日ばかり。 広島に帰るとそうは行かない。 もともと2人暮らしだから息子の影を追うことも無い。 さあ、夏祭りに盆踊り、それに原爆の日もある。 行動開始。
7月25日(金)
石鹸に綺麗な紙を貼り付けて作るデコパージュをある地域の女性会で作った。 汗を拭き拭き会場に着くと、 「増原さん、講師やって!」 「えっ! 私だって、まだ3回しか作ったことが無いのに講師? 聞いてないわ」 と思ったけれど、先月も郡部で30人余りの方々と一緒に作ったから、暑さで煮えたぎった脳を急いで鎮めて、説明した。
説明といっても簡単で、模様のついた紙を石鹸に貼って、その上に金銀色のラメを散らし、その上から何度か液体を塗れば出来上がり。それでも講師役だから、紙のきり方やラメの散らし方を1人1人に懇切丁寧に指導?し、 汗が止まらなかった。
女性は幾つになっても綺麗なものが好きだ。 最初は 「派手ねえ、シンプルがいいわ」 とラメを少ししか塗らなかった人も、 だんだん大胆に金銀を散らしていた。 「こんな綺麗な石鹸、使えないわ」 「いい匂いがするからお手洗いにいいわね」 「こんなに綺麗ならば玄関に置くわ」 「プレゼントにいいからもっと作りたいわ」 大好評で楽しいひと時だった
7月26日(土)
「暑い!」 と言うのも暑苦しいぐらい35度の暑い毎日が続いている。 この夏をどう過ごそうか、ちゃんと考えなければ。 体調不良を起こした去年の二の舞をしたくない。 やっぱりなるべく汗をかくことかしら。
大学の同窓会があった。 若い卒業生たちと話が出来て楽しいし、いつものメンバーとのおしゃべりも楽しい。 それに選挙区の同窓生も新たに発掘できて大収穫。
7月27日(日)
いくつか息子に連絡しなくてはいけないことがでてきたのに、NYの住所も電話番号も聞いていなかった。 我ながら呑気で呆れる。 携帯もメールもすぐ繋がると思っていたのに、そうすんなりとは行かない。 でも何かあればミホチャンに聞けばいいわと、気が楽。 お嫁さんが居てくれて良かった!!。
7月29日(火)
事務所にいると色々な人が話しに寄って下さるから楽しい。 今日は松江から海産物を売りにおばさんが来て、試食をしていると、「酒のつまみにいいねえ」 とポスターを貼り終わって帰ってきた支援者たちも加わった。 そこに田舎が倉橋島の方も見えて、皆で漁業や食糧の現状を喧々諤々。 おばさんはあれこれ沢山売れてホクホクで帰っていった。
7月30日(水)
家に帰ったら、消して出かけたのにクーラーが赤い光を点滅して稼動していた。 「ヘンだわ」 おまけに電話が繋がらない。 「ヘンだわ」 あれこれしているうちにリセットしたら繋がった。 「どうしてかしら」 「何があったの?」 出かけている間に急な土砂降りの雨があった。 停電になったらしい。
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